第43(59)回 4月の コダイ・ウォーキング レポート


宇治の歴史を訪ねる


今月は宇治川畔に位置する宇治市を訪ねましたが、古代史としての宇治は646年に元興寺の僧・道登が宇治橋を架け、672年には近江朝が宇治の橋守に命じて大海人皇子の糧食運送を妨害させたことなどが記憶に残っています。宇治が大きく歴史に表れるのは、都が平安朝となった時期以降で、この地は平安貴族の別荘地として高い文化を誇ることとなり、源氏物語の「宇治十帖」や平等院など世界遺産の地として大きな存在価値を担っています。では古代を少し外れて宇治の歴史を楽しんでみましょう。


黄檗山・満福寺

開山・隠元隆gは中国明時代の1592年、福建省福州府に生まれ、29歳で仏門に入り、46歳の時、故郷の臨済宗・黄檗山萬福寺の住職となりました。隠元は当時中国においても高名な僧で、その名声は日本にも届いていました。隠元が招かれて30名の弟子と共に来日するのは165463歳の時でした。当初は3年間の滞在予定でしたが、1658年徳川家綱が帰依し、1660年に現在の地に新しい寺院を寄進することになったので日本を終の棲家とし、1673年82才で示寂しました。
1669
年には寺院が完成しましたが、萬福寺の建築、仏像などは中国様式(明時代末期頃の様式)でつくられ、境内は日本の多くの寺院とは異なった空間を形成しています。寺内で使われる言葉、儀式の作法なども中国式とのことです。
日本の臨済宗は中国と異なっていたため黄檗宗と呼ばれるようになりました。この寺院の全域が重要文化財に指定されています。



総門:京阪とJRの「黄檗駅一つ北の筋に前にあるは広大な寺域に比べると可愛らしい門でした



大雄宝殿:本堂のこと



内陣:ご本尊は釈迦牟尓仏



売茶堂:煎茶の祖師・売茶翁を祀っています


三室戸寺


寺伝によれば、770年光仁天皇の勅願により南都大安寺の僧・行表が創建したものといますが、創建当時の事情は分からないそうです。現在は西国観音霊場の第10番目ですが、11世紀末頃には三十三番目、つまり最後の巡礼地でした。寺は10991103年に三井寺の僧隆明によって中興されましたが火災と織田信長の焼き打ちで焼失し、江戸後期1814年に再建されました。
5000坪の大庭園は枯山水・池泉とともにつつじ・シャクナゲ・アジサイ・蓮で彩られ、秋は紅葉が美しいところです、今回はしだれ桜と西洋シャクナゲが迎えてくれました。



参道



本堂:本尊は千手観音菩薩



牛のお腹に開いている穴をのぞいてみるウオーカー



しだれ桜が満開でした


宇治上神社


創建年代などは分かりませんが、本殿は1060年頃のものとされ、現存最古の神社建築であることが裏付けられるとともに、1052年創建の平等院との深い関連性が考えられています。
本殿と拝殿は国宝に指定され、本殿の外から見えるのは覆屋で、中に本殿が3つ並んでいます。拝殿は鎌倉時代前期の宇治離宮を移築したものといわれ、寝殿造の趣きを伝えています。境内にある湧き水は「桐原水」と呼ばれ、宇治七名水の一つです。
が「飲まないように」という注意書きがありました。



世界遺産



本殿覆屋



格子戸より国宝の本殿をのぞきました



国宝の拝殿


宇治川



中の橋より上流をのぞむ


ちはや人 宇治川波と 清みかも 旅ゆく人の 立ちがてにする

もののふの 八十氏河の 網代木に いざよう波の 行く方知らずも 
(柿本人麻呂)

宇治川は 淀瀬なからん 網代人 舟呼ばう声 をちこち聞こゆ
            
                                          
                                    「万葉集」より



宇治川堤の八重桜


宇治川を渡る、向こうは浮島にある殺生供養の十三重塔(重要文化財)

高さ約15m、現存する日本最大・最古の石塔です。720年・鎌倉時代。奈良西大寺の高僧の叡尊によって、宇治川での殺生の罪を戒め、供養塔として建立されました。その後たびたび水害で再建を繰り返しましたが、1756年の大洪水で川中に沈没、150年後1807年(明治40)に、女性の髪の毛を編んだロープで積み上げ、今の姿になりました。


源氏物語ミュージアム

源氏物語後半の舞台の宇の復元模型や映像を通じて源氏物語と平安の世界に親しめる博物館になっていました。



ミュージアムの一角


平等院


平安時代後期、日本では「末法思想」が広く信じられていました。釈尊の入滅から2000年目以降は仏法が廃れ、天災人災が続き、世の中は乱れるとする思想です。平等院が創建された1052年は、当時の思想ではまさに「末法」の元年に当たっており、当時の貴族は極楽往生を願い、西方極楽浄土の教主とされる阿弥陀如来を祀る仏堂を盛んに造営しました。関白・藤原頼通は1052年別荘の宇治殿を寺院に改めたのが平等院のはじまりです。
開山(初代執印)は小野道風の孫にあたる園城寺の明尊でした、創建時の本堂は鳳凰堂の北方、宇治川の岸辺近くにあり大日如来を本尊としていましたが、1053年に西方極楽浄土をこの世に出現させたような阿弥陀堂(現・鳳凰堂)が建立されたのです。

鳳凰堂の本尊はもちろん阿弥陀如坐立像ですが、その左右の長押の上の白壁には木彫の「雲中供養菩薩像」が52体かけられ、雲に乗って飛んでいる様は美の極致とも思われ、現在実物26体は「鳳翔館」で目の当たりに向かい合うことができます。



浄土教の経典「阿弥陀経」の表現のままに造られた鳳凰堂



藤棚と南門

この日は晴れたり曇ったり、一時は雨が降ったりとせわしないお天気と寄り道が多くてあわただしい一日でしたが、宇治の歴史を愉しむことができ、反省会では平等院南門近く宇治川に面した料理旅館「鮎宗(あいそ)」の名物「鰻のいいむし」などを味わいました。席上「東日本大震災」被災者に向けてのボランティア活動として「ウォーキング」への無償招待などが討議され、12名の満場一致で活動を始めることとなりました。


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