第42(58)回 3月の コダイ・ウォーキング レポート

東北・関東大震災で亡くなられた方々に心からの哀悼の意を奉げますとともに、被害をこうむられた皆さまに最大限のエールをおくります。]


奈良街道を行く

江戸時代に大阪の人たちの最大の愉しみは「お伊勢参り」でした、彼らは大阪の玉造を出て一路「生駒山」越えにかかりますが、その折に使われたのが「暗峠(くらがり峠)」でした。ここはもちろん古代から浪速〜奈良へと陸路をたどる最短の街道でもありました。梅林で有名な枚岡神社・枚岡公園(大阪みどりの百選)をすりぬけて国道308号線を登るわけですが、国道といっても大阪側はセンターラインがある二車線の立派な道を想像してはいけません、ほとんど古代の道が国道となっているのですから。

東北地方の複合災害により、私たちのウォーキングを中止するという選択もあったかもしれませんが、より一層復興への協力を皆さんと共に確かめ合いたいと思って、早春のポカポカ陽気の一日を松尾芭蕉も通った道をたどりました。

くらがり峠へ



松尾芭蕉の句碑

「菊の香に くらがり登る 節句哉」 はせお
松尾芭蕉は1694年(元禄7)病を押して伊勢松坂を出立し、9月9日重陽の節句に暗峠を越えました、その時詠まれた句ですが、芭蕉は10月12日に大坂の御堂筋にあった旅宿「花屋仁左衛門」宅にて病中吟「旅に病んで 夢は枯野を 駆け巡る」を残して50年の偉大な生涯を終えました。

近鉄奈良線の「枚岡」駅から国道308号線に出ると、車のスリップ止めを施した狭い道が峠まで上り、峠の付近は石畳となって古い面影を残しています。暗峠とは昼なお暗い木々の下を行くことから付けられたのでしょう。



弘法の水



暗峠・この街道は奈良時代に開かれました



暗峠付近・茶店があり、向こうのガードレールは信貴生駒スカイライン



鳴川峠への途中「府民の森」での昼食


暗峠より鳴川峠を経て近鉄生駒線「元山上口」駅へ



鳴川峠:暗峠より1.4Km南下したところにあります



早春の陽気の中を下っていく



豪壮な民家



千光寺境内:ここは役行者が大峰山上ヶ岳を開く前に修験道の本拠としたところです、
ここまでの道中に真言宗の小さなお寺と行場が諸所にありました


金勝寺


金勝寺金堂(1666年・創建時の半分の規模で江戸時代再建)

746(天平18)年、行基菩薩の創建で聖武天皇の勅許による一大伽藍でしたが、戦火・火災などにより江戸〜平成に至って現在の姿になりました。金堂には坐像高約1mの平安時代の薬師如来が本尊として祀られています。他に鎌倉・室町時代の十三重の石塔・十三仏石塔や五輪塔と共に、室町中期の磨崖仏群があります。

私たちが薬師如来を拝観していると、若い坊守さんがお茶をごちそうして下さり、お寺の来歴などを楽しげに話していいただいたのは良い思い出になりました。



磨崖仏:当地(平群町)出身の戦国武将・島左近の夫人「茶々」の生前供養に1588年造られました



龍田川に架かる「勧請綱」



勧請綱由来


この後、駅までの途中で「かんぽの宿・大和平群」で思い思いに温泉につかったり歓談して、約20000歩の古道の旅は終わりました、アップダウンの多いウォーキングになりましたが、妙齢のYさん以外は高齢者ばかり10名の参加を得て落後者はありませんでした。
4月は24日(日)に京都府宇治市へ行くことにしています。

「東北地方の皆様へ」

東北地方の方々の甚大な災害ににより亡くなられた方々に心よりの哀悼の意をささげます。また、お怪我や生活基盤を失われた方々に、悲しみを乗り越え勇気を取り戻されるようにお願いたします。

私は戦争被害、神戸淡路大地震の被害を受けてきましたが、どんなことも助け合うことによって必ず何とかなると思っています。
私たちはすべての生き物が明日をも知れない日々を生きていることを、お釈迦さまが「無常」という言葉で教えてくださいました。
「無常」の世を生きるためには全てのものが連帯しあう心が最も大切と思っています。

遠方に住む私には身をもってのお力添えはできませんが、皆様の生活が安定するまで共にある心を忘れず、できるだけのご援助をしてまいります。
どうかこの苦境を克服されんことをお祈りしております。合掌

なお、東北地方複合災害の義捐金は「日本赤十字社」で扱っています、どうぞご協力をお願いします。


表紙に戻る