第5回ブッダ・ウォーキングレポート

西ノ京(薬師寺〜唐招提寺〜喜光寺〜西大寺〜秋篠寺)
コスモスの花に迎えられて白鳳の世を偲ぶながら歩いてきました。今回は高校時代の同窓生も加わってのウオーキングとなり、少し雨に降られた平日の西の京は静かな秋でした。


薬師寺
698年に藤原京に完成後、718年平城京への遷都とともに現在地へ移転、殆どの伽藍を兵火や天災で失い、当時の建築物は昔から親しまれている東塔のみが現存しています、その他の伽藍はすべて昭和と平成に再建されましたが、金堂の国宝・薬師三尊像は仏教美術の最高傑作として有名です。
中国唐代の玄奨三蔵法師を開祖とする法相宗の日本の総本山でもあり、ちょうど玄奨三蔵院が一般公開されていて平山郁夫画伯が30年の歳月をかけた「大唐西域壁画」を見ることができ、私自身まだ見ぬ西域への思いを一層熱くした一日でした。



玄奨三蔵院側より興楽門、大講堂、金堂及び東塔(左)と西塔を望む




































金堂を真ん中にして左が国宝の東塔(680年)と右が1984年創建時の白鳳様式で建立された西塔、両塔には1304年の隔たりが


現在、新しい西塔は東塔より33cm高く、屋根の反りも東塔よりかなり扁平に造られています、これは西塔を建てた故・西岡常一棟梁によれば、200年後に東塔と同じ形になるそうです。その間使われた木が変形してゆくそうです。(志村史夫著「古代日本の超技術」講談社より)



















       


 1976年完成の金堂    紫式部と式部の実        



唐招提寺
聖武天皇によって招かれた鑑真和上の12年間に亘る苦難の渡航は有名、国宝の講堂は平城宮の東朝集殿を移築されたもので奈良時代の宮殿建築を今に残しています。鑑真像には6月5〜7日しか会えませんが、御影堂に描かれた東山魁夷画伯のふすま絵の壮大さには、ビデオを見ても感動します。


今も使われている戒壇
戒壇とは:正式な僧になるため戒律(修行規則)を授けられるところ、日本では初めて鑑真和上によって754年東大寺大仏殿前にて授戒式が行われました。
























上:平城宮より移築の講堂、奈良時代の宮殿を偲ばれます


右:鑑真和上の御廟










雨上がりの苔庭(御廟への道)


喜光寺
721年高僧行基が建設、1499年に焼失したものを室町時代に再建、本尊阿弥陀如来は平安後期の作で聖武天皇が参詣の際不思議な光を放ったので寺名となった、境内には石仏も多い。東大寺大仏殿を作るにあたって十分の一の大きさで作られたといわれているます、二階建てのように見えますがこれで一階、
全体の様子が大仏殿に似ていますね。




西大寺
天平時代765年創建、東大寺に対する大寺として堂宇100以上を誇っていたが遷都や火災で平安時代後衰退、現在の建築は江戸中期で土壁を使わない板壁、金堂前の巨大な基壇は東塔跡。鎌倉時代からの大茶盛が有名。



西大寺金堂(江戸時代再建) 手前の巨大な基壇が創建時の東塔跡



秋篠寺
奈良時代末期776年光仁天皇により780年創建、完成は桓武天皇の平安京遷都と同じく780年、以後真言密教として隆盛を極めましたが、1135年頃は海賊首僧源智らの捕縛など世が乱れ、兵火に罹って講堂他数棟を残して金堂・東西両塔など全山焼失、鎌倉〜桃山時代にわたる復興造営されたが、野蛮な明治政府の廃仏毀釈によって、諸院諸坊ともに寺域の大半を失ってしまいました。

有名な伎芸天女像をはじめ尊像は頭部が天平時代の乾漆造ながらその他は焼失して、体は鎌倉時代の補作ですが見事な調和を保っています。小さな本堂の中の仏様方はすばらしく、東塔跡には金堂の礎石に一部も唯々人の愚かさを表しています、庭園の苔は美しく静けさを保っていました。


外観の美しくなった本堂前にて皆さんと



秋篠寺 技芸天女像 重文 (ホームページよりコピー)




この2枚はiPhoneで2017年12月に写し、文章も追加しました



次回のブッダ・ウォーキングは11月14日(月)です


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