第39(55)回 12月 コダイ・ウォーキング レポート


古市古墳群を歩く


古市古墳群は大阪府・羽曳野市と藤井寺市にある、応神陵をはじめとする93(元は129)基の古墳を総称し、4世紀末〜6世紀前半の150年間に築造されています。大阪府堺市の仁徳陵のある百舌鳥古墳群(現87基・元100基以上)と共に、日本を代表する古墳群で大和の勢力が如何に強大なものであったかを知ることができました。
古墳と古墳を隔てるのは市街地と車の洪水、これまでこんなところを歩いたことはなかったので、みんな一列縦隊になって道の端っこを気をつけながら歩くたいそう気疲れのするウォーキングでした。


訪ねた古墳は、允恭天皇(大王のことをとりあえず国土地理院の地図通りにこう呼びます)、仲津姫皇后陵、古室山古墳、大鳥塚古墳、応神天皇陵、アイセルシュラホール、仲哀天皇陵、野中寺、仁賢天皇陵、峯ヶ塚古墳、清寧天皇陵、墓山古墳、翆鳥園遺跡、誉田白鳥埴輪製作遺跡、日本武尊陵などでした。このうち話題性のあるところを画像と一緒にご覧ください。


古代・天皇の系譜

赤字は女帝、青字は今回行った古墳、太字( )内は中国(「宋書倭国伝」及び「梁書」)による倭の五王(岩波新書・藤間生大著・1968年初刊)

1神武━2綏靖━3安寧━4懿徳━5孝昭━6孝安━7孝霊━8孝元━9開化━10崇神━11垂仁━12景行 ┓
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
 ┗┳日本武尊14仲哀15応神16仁徳┳17履中(讃)━市辺押磐皇子┳24仁賢25武烈
  ┗13成務        ┃   ┣18反正(珍)       ┗23顕宗
        神功皇后   ┃   ┗19允恭(斉)20安康(興)        ┏27安閑
               ┃       ┗21雄略(武)22清寧    ┣28宣化
               ┗ ○ ━ ○ ━ ○ ━ ○ ━26継体┻29欽明━┓
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
 ┗┳30敏達━押坂彦人大兄皇子━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
  ┣31用明━厩戸皇子(聖徳太子)━山背大兄王                 ┃
  ┣33 推古(敏達后)                             ┃
  ┗32崇峻                                  ┃
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
 ┗┳34舒明┳38天智━━━━┳41 持統(天武后) ━━ 草壁皇子
  ┃   ┃(中大兄皇子)┣御名部皇女(高市皇子后)
  ┃   ┃       ┣43 元明(草壁皇子后) ━┳44 元正
  ┃   ┃       ┣39弘文(大友皇子)   ┗42文武━━45聖武━━46 孝謙
  ┃   ┃       ┃                      (48 称徳) 
  ┃   ┃       ┗施基親王━━┳湯原親王━━壹志濃王
  ┃   ┃        (田原天皇)┣榎井親王━━神王
  ┃   ┃              ┗49光仁━50桓武 →〜51
  ┃   ┣40天武━━━━┳舎人親王━━47淳仁
  ┃   ┃(大海人皇子)┗高市皇子━━長屋王
  ┃   ┗古人大兄皇子━━倭姫(天智后)
  ┣茅淳王━┳35 皇極 (舒明后) 
  ┗中津王 ┃(37 斉明
       ┗36孝徳━━有間皇子 

 允恭陵:5世紀後半・全長223m・453年没・(宋書・梁書にて「斉」に比定)



仲津山古墳:5世紀後半・290m・古市古墳群で2番目、全国で10番目・応神天皇の后でその子が仁徳天皇・しかしこの古墳は応神陵より築造時期が古いので疑問視されている




古室山古墳:5世紀後半・150m・自由に立ち入りができる



誉田(こんだ)御陵塚古墳(応神陵)

5世紀初頭・420m(百舌鳥古墳群の大仙陵486mに次ぐ大きさ、ただし体積では日本一)、周濠は二重、埴輪の種類が多く円筒・家・盾・鐙・水鳥・馬・魚型(鯨・イカ・タコ・鮫・イルカなど)、陪墳が15ある、写真は方墳側後部にある拝殿

この古墳の西側に川を隔てて各100mほどのはざみ山古墳と野中古墳があり、この古墳の周辺ははさみ(挟)山遺跡という飛鳥〜室町時代の大規模集落があった。



アイセルシュラホール
:ここには2005年12月に第16回ブッダ・ウォーキング「古市古墳群と古い寺々」で行きましたが今回の参加者の多くは初めてなのでここに入り、昼食もここで食べることができました、館内の模様は上のリンクからどうぞ。写真は古代船をかたどったミュージアム兼藤井寺市生涯学習センタ。



岡ミサンザイ古墳(仲哀陵)
:5世紀後半・242m・中世に城郭として利用・宮内庁は仲哀天皇陵に比定しているが年代が合わず雄略天皇陵説もある。写真はマガモがいた周濠



野中(やちゅう)寺:ここもアイセルシュラホールのところのリンクからご覧ください。
野中ボケ山古墳(仁賢陵):6世紀前半・122m・円筒埴輪と2基の埴輪窯が発見されている、ここは先月の「播磨の古代を訪ねる」のレポートの中でご紹介した「根日女物語」に出てくるお兄さんの方の24代仁賢天皇陵とされている



峯ヶ塚古墳:6世紀初期(古墳時代後期)・江戸時代は日本武尊陵とされていた・武器・武具・馬具・装身具・玉などが大量に出土・二重濠をもち古墳築造の縮小期に当たり、大王級の墳墓と考えられている・一帯は羽曳野市の広い公園になっっている



誉田白鳥埴輪製作遺跡11基の登り窯と工房跡の掘立柱穴が発見されたが調査後、埋め戻されて現在は公園になっている

翆鳥園遺跡公園
:写真は石器を作るために打ち割られたサヌカイトをかたどったモニュメント




軽里大塚古墳(日本武尊=やまとたけるのみこと・白鳥陵):5世紀・190m・彼は景行天皇の皇子であり、仲哀天皇の父といわれるが、実際には4〜7世紀頃の数人の大和の英雄を統合した架空の人物(津田左右吉説=1891〜1961年・早稲田大学教授・文化勲章受章・古事記、日本書紀を否定した)という見方もある、また白鳥陵は彼が死んだとされる三重県の各地にある



今年のウォーキングでは、途中でMさんが脳梗塞に襲われるというびっくりのハプニングがありましたが、全体的には順調に推移したものと思っています、しかしながら、ウォーキングを立案するのは私個人で、参加の皆さんが楽しんでいただいているのかどうか、いつも疑心暗鬼にとらわれています。この会を末永く続けるために、建設的なご意見をどしどしお出し下さい。
本年は色々とご協力を賜りましたことを深く感謝し、皆さんがよいお年をお迎えになられますようにお祈りいたしておりますBye 12月20日 風来坊主



お元気になられたMさんも参加して楽しい忘年会でした


1月のウォーキングは二大古墳群の一つ「百舌鳥古墳群」と1000基もの窯があった須恵器のふるさと・泉北丘陵へ行きます、どうぞご参加くださいBye


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