第35(51)回 コダイ・ウォーキング レポート


キトラ古墳壁画「四神と唐の壁画(青龍と白虎)を訪ねる


奈良県明日香村のキトラ古墳よりはぎ取った壁画のうち朱雀の修復が終わり、国立・飛鳥資料館でこれまで一枚ずつ公開されていたものを全部一般公開されました、いずれ古墳近くに展示館を造る予定ですが、今のうちに見ておきたいと思いました。
この辺は幾度も歩いているところでルート選びが難しいですが、いつも休館日だった藤原京資料館
に入ったのち、橿原の考古学研究所博物館で開かれている「大唐皇帝陵展」で唐時代の「青龍と白虎」の壁画などを見て、日中につながる古文化財を楽しみ、最後は畝傍山へ登ってきました。



                                 JTBプブリッシング「奈良大和路」よりスキャン


キトラ古墳とは


古墳の石室の東西南北の四壁の中央に四神の青龍、白虎、朱雀、玄武が描かれ、その周りに十二支の神獣が配され、天井の部分には68の星座と350の星が描かれている世界最古の天文図があることはご存知の通りです。
古墳の原型は二段築造の円墳で上段が直径9.4m、高さ2.4m、テラス状の下段が直径13.8m、高さ90cm。。墳丘は小高い阿部山の南斜面に位置し、名称の「キトラ」は、「北浦」または「亀虎」の転訛といわれます。1983年、石室内の彩色壁画に玄武が発見され、2000年11月、国の特別史跡に指定されました。
壁画などにみられる唐の文化的影響が高松塚古墳ほどには少ないことから、遣唐使が日本に帰国(704年)する以前の7世紀末から8世紀初め頃に作られた古墳であると見られています。天武天皇の皇子、もしくは側近の高官の可能性が高いと見られまた、金象眼が出土したことから、銀装の金具が出土した高松塚古墳の埋葬者よりも身分や地位の低い人物が埋葬されていて、古墳周辺の一帯が「阿部山」という名前の地名であることから右大臣の阿倍御主人(あべのみうし)であったとの主張が通説となっています。


四神と十二神獣(飛鳥資料館の資料とパンフレットよりスキャン)


朱 雀(縦約20・横約60p)




















玄武と青龍(頭と舌の部分が残っています



白 虎





     左:十二神獣のうち「寅」


     右:高松塚古墳の「青龍」













































左:飛鳥資料館、6月7日に見学者が40000人を越えました  右:藤原京資料館



大官大寺跡:この寺は平城京の大安寺の前身、682年にはある程度形を整えていましたが造営は8世紀の初めまで。
藤原宮の時代には官寺の主位に置かれており、九重塔をもつ飛鳥最大の寺院でしたが平城遷都の直後711年に焼失しました。


藤原京と藤原宮跡資料館


中国の都城を模して、礎石の上に朱塗りの柱を立てた最古の宮殿であり、藤原宮には天皇の住居である内裏や大極殿,朝堂院,多くの役所などの建物がありました。ここは瓦屋根の大垣が四方を囲んでおり,宮域を他と区別していました。
平城京や平安京をしのぐ広さを持っていましたから、大和三山は都城の中にありました、690年(持統4)に着工され、694年に飛鳥浄御原宮から遷都、完成は遷都後10年経過の704年、持統・文武・元明の三天皇が居住した16年間日本の首都でした。この間に日本初の法典「大宝律令」が制定され710年文武天皇が諸国に発布し、中央集権体制が整いました。

藤原宮跡資料館は飛鳥資料館・平城宮跡資料館と同じく国立の独立行政法人・奈良文化財研究所に属しています、天香久山の西麓にあり、大きな研究所の中展示室には都跡の発掘品や縮尺模型、当時の生活も知ることができます。


藤原京



左:法隆寺金堂 中:藤原宮大極殿 右:唐招提寺金堂











































左:藤原京と平城京の位置関係と唐・長安城の比較  右:運ばれてきた土器類






















 上:豪華な貴族の食事(右奥は官吏の食事)

 右:労役のため派遣された庶民の食事、経費は出身地の負担






藤原京・耳成山の下が大極殿、赤い柱は朝陽殿跡(柱はなんとドラム缶でした)


大唐皇帝陵展と奈良県立橿原考古学研究所博物館


唐は西暦618年高祖(李淵)から907年哀帝の王朝まで23代の皇帝まで続きましたが、皇帝と皇族や側近はそれぞれ御陵に葬られました。代表的な御陵は「唐十八陵」と呼ばれ、日本と違い中国政府は第9代譲皇帝の恵陵と第21代僖宗の靖陵の陵内部まで発掘調査を許可しています。

壁画で有名な恵陵の長大な玄室の壁画の中の「青龍」と「白虎」が今回の展示の白眉ですが、この壁画の大きさは長さ700cm高さ330cmもありますから、運搬できないので中国の考古学の専門家が来日して、模写をしました。

キトラ古墳の45cmほどの白虎に比べてその規模の違いにどぎもを抜かれますが、そこに描かれたものは唐から朝鮮の高句麗の画家へと伝えられ、彼らを高句麗から招来した飛鳥王朝へと中国文化が遥かな時空を超えて、今私たちの眼前にあることに深い感動を覚えています。

この展示は写真撮影できず、図版を求めるのを忘れましたの画像はありませんが、図柄は左右の違い以外よく似ています。
橿原考古学研究所付属博物館は古墳時代から飛鳥時代へと日本国が形成されていく中心的存在といえます。展示される出土品の質と量には何度行っても驚くばかりです。今回は一部を除き写真撮影ができましたので、少しご紹介いたします。



博物館入口



葛城古道にある宮山古墳の埴輪群



巻向石塚古墳の柱材と埴輪群



斑鳩・藤の木古墳の金銅製馬具(すべて国宝)


畝傍山(199m)登山



















左:登山口  右:頂上から金剛山と葛城古道



登頂記念撮影 木の根・岩根を踏み越えてたった20分ですが登山気分になりました
(あと二人は登らなかったので残念ながら写真なし)




















奈良にはこんな酒屋さんが多いのでお土産にいいですね

橿原神宮前駅から歩き始めたときは小雨が降っていたのですが、間もなく止んでしまい午後からは暑さの中を歩く羽目になりました、ウォーキングは今月で2ヶ月間の夏休みです。
夏の間も集まろうとのご希望にそえるような面白くて涼しい企画を探します(ときどき「風来坊主の広場」を見てください)、では夏バテにならないよう、脚が弱らないようにご自愛のほどをBye


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