第34(50)回 コダイ・ウォーキング レポート

第50回記念ウォーキング・北陸の古代を尋ねる

早いもので2005年3月にブッダ・ウォーキングから始まった会が50回めを迎えました、これを記念してどこかへ一泊で行こうということになり、基本的に楽しく歩いて遊べて私たちの会の趣旨にも沿ったところとして、Mさんのたっての希望でもあった、超古代の「福井県立恐竜博物館」と万葉時代を偲ぶ「味真野苑」を中心に計画しました。
そのMさんは病に倒れてしまいましたが、計画通りに実行したところ連日雨の予報が好天に恵まれて、花々が咲き誇る北陸路の春を満喫することができました。



勝山行きの越前鉄道の車窓より見る「白山・2684m」右方のドームは「恐竜博物館」



第1回からご参加のSさんを中心に


福井恐竜博物館


1989年から始められた発掘調査により、フクイサウルス・フクイラプトルなど多くの恐竜化石を採集し、発掘現場から恐竜の卵殻や幼体の骨も発見されて、恐竜たちが群れで生活していたことが明らかになりました、恐竜たちに関する資料を網羅した日本最大の博物館です。
ここでは「恐竜の世界」「地球の科学」「生命の歴史」のテーマに構成されて、広大な展示室には30体以上の恐竜骨格や標本、大型復元ジオラマや映像を楽しめます。



















くわくさせる勝山駅頭と博物館



館内展望



フクイサウルス・テトリエンシス(草食恐竜・複製)勝山市北谷町出土・白亜紀前期・骨格全長4.7m
頭骨や体の各部位の骨が多数発見され、恐竜として日本で初めて復元された全身骨格



これだけの骨から復元されました


では「恐竜の世界」を見ましょう



ウォーキング50回記念パーティの始まり・武生のホテルにて


味真野苑(あじまのえん)


武生の郊外にある越前の里 味真野苑は万葉集に残された恋の歌にちなんで造成された庭園で、桜、ミズバショウ、藤、ぼたん、花菖蒲など四季折々に花やホタルなどが楽しめます。行ったときはつつじ・藤・花菖蒲・こでまりの花々が盛りでした。

今から1200年余り前、貴族を中心に壮大で華麗な天平文化が栄えました。味真野は平城の都からこの地に流された中臣宅守(なかとみのやかもり)と都で夫・宅守を思う狭野茅上娘子(さののちがみのおとめ)の悲しい恋の歌の舞台として知られています。二人の間で詠まれた情熱的な歌は万葉集に63首残されています。その後、宅守は罪を許されて都へ帰ったことは分かっています。

また、万葉集を代表する歌人・大伴家持が越中の国守のとき、大伴池主との間で交わされた歌にも、越前市・武生がその舞台となっているものがあります、苑内には「万葉のロマンと恋の歌」をコンセプトに「万葉館」がありますが残念ながら休館日でした。

また、大阪府高槻市にある今城古墳に祀られている継体天皇(507年即位)は福井県坂井市丸岡町の出身とされ、この苑内には石像と碑が建てられています。

あしひきの 山道(やまぢ)越えむとする君を 心に持ちて安けくもなし
◎ 君が行く 道の長手を繰りたたね焼き滅ぼさむ
 天(あめ)の火もがも   
白たへの 我が下衣失わず持てれ我が背子(せこ) 直に逢うまでに
我がやどの 松の葉見つつ我待たむ はや帰りませ恋ひ死なぬとに       狭野弟上娘子

天地の神なきものにあらばこそ我が思ふ妹に逢はず死にせめ      
◎ 
塵泥(ちりひぢ)の数にもあらぬ我ゆゑに思ひ侘ぶらむ妹がかなしさ    
我妹子(わぎもこ)が 形見の衣なかりせば 何物もてか命継がまし
山川を 中に隔りて遠くとも 心を近く思はせ我妹                  中臣宅守


桜花 今こそ盛りと人は言えど 吾は寂(さぶ)しも君としあらねば         大伴池主

我が背子が 古き垣内(かきつ)の桜花 いまだ莟(ふふ)めり一目見に来ね   大伴家持




















山の上に向かい合って建てられた二人の歌碑



苑内−1



苑内−2



継体大王と照日の前


「花がたみ」物語
室町時代・世阿弥の謡曲「花がたみ」は継体と照日の前のロマンスが物語られています、味真野に住んでいた応神大王5世の子孫であった男大迹王(おおとのみこ)は飛鳥で大王の系統が絶えたとき、呼ばれて継体大王となりましたが、飛鳥へは入れたのは20年後のことでした。彼は寵愛の照日の前に花筐(はながたみ=花かご)を贈って別れたのですが、彼女は恋しさに花かごをもって大和へ上り、再びロマンスが花咲いたという物語です。

継体大王(=天皇)とは:
記紀によれば、6世紀始め武烈大王(おおきみ)がなくなると彼には子がなかったので、大伴氏・物部氏らは越前(福井県丸岡町)より応神大王から5代目の孫である男大迹王(おおとのみこ)を推戴し大王としました、枚方市の樟葉で皇位についたのが507年(〜531年)、その後、山城の筒城、京都府の乙訓と転々とし、大和に入ったのは何と20年後であったそうです。その御陵も大和でなくて高槻市にありますから、大和の豪族たちの中には継体を支持しない者がいたのでしょう。
彼は武烈の妹・手白香皇女を皇后にして、仁徳に始まる王朝の遺産を継承し、雄略から続く東方への発展を更に北方へと広げるとともに、北九州の有力者だった筑紫国造磐井の反乱を制圧し、やまと政権はいよいよ中央集権化が進み、彼らの子である欽明から敏達、用明、推古、崇峻そして孝徳、皇極、舒明、天智、天武(=天皇:この呼び名を使い始めました)・・・と皇統は続いて、継体によって統一された大和政権体制は堅固なものになってゆきました。


味真野からJR武生駅へウォーキング



シャクナゲの咲く路



浄土真宗出雲路派本山・豪摂寺(ごうしょうじ)



本堂



北陸随一と謳われる鐘楼



東運動公園のカラーと菖蒲



すべて自家製の越前そば(武生製麺工場)にて絶品の蕎麦を味わう


かくて50回記念ウオーキングは終わりました、北陸路で見た花はボタン・しゃくなげ・こでまり・つつじ・カーラ・かきつばたなど私でもわかる花に、その他知らない花々も含めてまさに春が真っ盛り、楽しいウォーキングとなりました。

二日間の北陸で出会った人々に感じたことは、生活に余裕があるということでした。買い物一つにしても都会のようにコンビニやスーパーが軒を並べてあるわけでもなく不便な生活を強いられながらも、ちょっとした空地にはどこへ行っても花々が咲いており、行き違う子供たちは必ず挨拶してゆきます。

どこで読んだのか忘れましたが、故マザー・テレサさんが来日された折の言葉として「日本はどこよりも豊かな国だが、人々の顔はどこの国よりも暗い」とおっしゃっています、私たちは敗戦後に失ったものの大きさを、改めて認識しなければなりません。

こんな福井の風土に後ろ髪をひかれる思いで大阪へ帰ってきました、また世知辛い暮らしが始まりましたが、これからのウォーキングでは都会的な場所でないところがふえてゆくことでしょうBye


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