第33(49)回 コダイ・ウォーキング レポート


やましろ古道と花の旅('10年5月31日追補)


やましろ古道へは2008年1月に行きましたが、その時は白鳳時代の「蟹満寺」と聖徳太子ゆかりの「神童寺」が改修のため入山できませんで、山城筍で有名な竹の海を渡りながらJR奈良線沿いを13人が連なってウォーキングしました、このときは6回にわたるハプニングがあり、そのときはすべて笑い話で終わりましたが、今回は驚天動地、ウォーキングの在り方を考え直すほどのとんでもないハプニングが発生し、Mさんが橘諸兄の旧跡のところで突然脳梗塞を起こして倒れてしまったのです、その経緯は順を追って話しますが、当日は快晴と花々に迎えられ10名参加のウォーキング自体はすばらしい一日となりました。(生物楽者・Mさんの写された花々のアルバムを後ろに追加しました)



玉川の山吹と散ってしまった桜に迎えられました

「玉川」:JR奈良線の「玉水」駅で降りてこの玉川を上流へと登って行きます、この川は六玉川の一つに数えられ、川沿いにはソメイヨシノ桜が約500本、その下にはやまぶきの花があざやかな黄金色と白色で迎えてくれますが、この花は奈良時代にここに住み、今はない井堤(いでじ)寺を建立した橘諸兄が植えたのが始まりらしく、花々を詠んだ歌が小野小町をはじめたくさんあります。

「色も香も なつかしきかな かわずなく 井出の渡りの 山吹の花」   小野小町
「駒とめて なお水かはむ 山吹の 花の露そふ 井出の玉川」      藤原俊成


やましろ古道図「花の社寺・名所歩き」JTBパブリッシングよりcopy)



地蔵院

京都府の天然記念物になっているしだれ桜は京都円山公園のしだれ桜と兄弟木で1727年に植えられたそうです、京都百景の一つに数えられる木津川の流れと町並みは美しいものでした。



正面は玉津岡神社、左に地蔵院があります



山 門



しだれ桜の古木より木津川方面を望む



緑に染まる地蔵院の一角



地蔵院の下にあった見事なしだれ桜



筍を掘りとられた筍畑


小野小町の墓

絶世の美女とされる小町の墓は全国処々方々にありここもその一つで、言い伝えによれば小町は晩年を井堤寺に住み、ここで69才で亡くなったと記録されています。平安前期9世紀ごろの女流歌人で六歌仙・三十六歌仙の一人です。

「花の色は うつりにけりな いたづらに わがみよにふる ながめせしまに」  小野小町



橘諸兄旧跡

684(天武13)〜757年(天平勝法9)、奈良時代の政治家、敏達天皇の孫で、元の名前は葛城王、正一位・左大臣、初代橘氏。
聖武天皇を補佐し、晩年は藤原仲麻呂に実権を奪われました。

「あじさいの 八重咲くごとく 八つ世にを いませわが背子 みつつしのばむ」   橘諸兄(万葉集)



橘諸兄公の墓所



まだお元気にたけのこを掘るMさん


ハプニング

実はここで、とんでもないことがおこりました、Mさんが突然倒れて「救急車を呼んで!」といい、「手も足も動かへん」と言ったのです。「動かしてはいけない」「そのままそのまま」と口々に言いつつ、「119」番に電話したら、その消防署は宇治署で管轄違い、でもすぐ京田辺市へ電話を転送していただけ、場所を告げたら、「今救急車を出しました」と力強い返事が返ってきました、電話を切るころには救急車の「ピーポピーポ」が聞こえてきてびっくりしました。これは京田辺市の分署が井出町にあったためで、本当にラッキイでした。

救急隊員が3人降りてこられて、橘公の石段をみんなで担架を支えて下り、Oさんが付き添ってくださって、15分ばかりで京田辺の救急病院へ入ることができました。土曜日でしたが運よく脳神経科の先生がおられて、さっそく診断と治療を受けられて、軽い脳梗塞を起こしたとわかりました、この間約30〜40分の出来事でした。

Mさんはその後リハビリを続け、現在は大阪市の病院へ転院、順調に回復途上にありますが、年齢も若くウォーキングではいつでも元気そのものだった人が、再び蘇るのはいつかは私にはわかりません。聞けば普段より少し血圧が上がっていたとのことですが、よもや自分がこうなるとは夢にも思わなかったということです。

私たちのコダイ・ウォーキングの会は70才以上の方も多く、2008年のように竹林の海をさまようごとく歩いていたときに、こんなハプニングが起こると、救急車も入ってこれずに、処置がずいぶん遅れてしまいます。今後は気をつけてあんまり細い道を選ばないようにしたいと思います。一日も早いご回復を祈っております。
(その後、私たちはどうしようかと考えましたが、JRの駅が一番近いのは「蟹満寺」の近くの「棚倉」駅ですから、そこまで歩き、遅くなったお弁当を食べお寺を拝観して、私は京田辺の病院へ、後の方々はM君にバトンタッチして「神童寺」へと予定通り行ってもらい、後刻奈良市内でおちあって経過報告をしました)。

現在、Mさんは大阪市のリハビリ専門病院で、今では杖をついてなんとか歩けるまでに回復途上にあります。MさんのベッドにはパソコンやDVDの機器類が線をつなげて、ハイテクの様相を呈していますが、ここで見ていただくのは、このウォーキングで倒れるまでに写された花々の写真です、こんなに咲いていたとは驚くばかりですが、わざわざ不自由な右手に鉛筆を持って、名前まで書いていただきました。そのアルバムをここに開示します、当分は参加できない「生物楽者」の花々をお楽しみください。                                       この項は2010年5月31日に追加しました。


myuumyuuさんのアルバム」(ウォーキング当日撮影分)


蟹満寺

このお寺の由来は、2008年のレポートを見てもらいたいですが、木の香も新しい本堂が出来上がり、本堂には白鳳末〜天平初期の薬師寺の薬師三尊像と双壁の傑作といわれる丈六の釈迦如来坐像(国宝)が安置されています。



新装なった本堂・この下に薬師寺に次ぐ規模の基壇(28.5X17.8m)が発掘されました



釈迦如来坐像(国宝)


神童寺

興福寺一乗院から移設した山門をくぐると、室町時代に建立された本堂(蔵王堂・重文)があり、宝蔵には重文に指定されている不動明王立像や愛染明王坐像や阿弥陀如来座像などたくさんあります。
といっても、この日私は行ってないのでYさんの画像を借りて本堂をご紹介します、また仏さまたちは行けなかった私のために買ってきてくださった絵はがきからスキャンしました。
蟹満寺と神童寺の解説はは2008年のレポートをご覧ください。



改修された神童寺本堂:Yさん写す(色調は修正してあります)























↑宝蔵内部    →阿弥陀如来座像(重文・木造・藤原時代)
↓上左:不動明王立像(重文・木造・藤原時代)
 上右:愛染明王像(重文・木造・藤原時代)
 下右:月光菩薩像(重文・木造・藤原時代)
 下右:日光菩薩像(重文・木造・藤原時代)



5月のウォーキングは50回記念として、福井県立恐竜博物館と万葉集の公園として有名な「味真野苑と万葉館」へ行き、超古代と北陸路の古代を楽しんできます、レポートをお楽しみにBye

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