第31(47)回 コダイ・ウォーキング レポート


生駒山麓の古代を訪ねる


縄文海進によって現在の大阪の陸地が広大な河内湾になっていたことは、先々月の「古代の大阪」で詳しく説明しましたが、河内湾の渚は生駒山の西麓につらなり、そこには石器〜縄文〜古墳時代へと多くの人々が住んでいました。それらの遺跡は東大阪市と八尾市に存在しています。今月はこれらの遺跡と資料館を巡りながら最後は信貴山へ登って「虎」に会って、○○祈願をしてきました。

前日までの予報では雨でしたから皆さん雨具用意だったのですが、私たちのウォーキングはいつものことながら、予報をくつがえしてポカポカ陽気に気も晴れ晴れと25200歩、これでご利益をこうむり優勝すれば足の痛みも忘れられることでしょう。今回は特にご主人が不調なOさん、足の骨折が癒えたKさんの久々の参加があり楽しい一日となりました。



かっては大海原だった大阪市街を望む(東大阪市郷土博物館の標高100mより・レンズ焦点距離55mm)


「東大阪市の古文化財行政に思う」

東大阪市には古代を知るための施設が「郷土博物館」と「埋蔵文化財センター・発掘ふれあい館」があり、古墳の復元も多々あります、これらの資料館では発掘資料に触れられ、どこでも撮影自由になっており、ボランティアによる発掘品の修復など市民が古代を身近に親しめる工夫がなされていました。

お隣の八尾市では撮影禁止、発掘品をガラス越しに拝ませていただくだけ、なぜこうも日本の文化財行政がちぐはぐなのでしょう。

これまで優れた古代文化財の「青森の縄文土器」「新潟の火焔土器」「大阪歴史博物館」「北九州各地」「出雲」「吉備」「鳥取県」などは殆どが撮影が可能です。彩色の施されたものにストロボフラッシュを当てることは化学変化をおこしますから禁止は当然ですが、現在のデジタルカメラはフラッシュなど使わなくても、十分に撮影可能です、私は館内の撮影にはISO6400〜8000を使って、手ブレを防いでいます。

時代に即応した行政のあり方が問われる時代になりました、文化財を手にとって観察できることは素晴らしいことです、小さな子供時代から日本人のアイデンティティを意識させるのは最も大事な民族的義務でしょう、「あそこへ行っても何も記録できないで資料を買わされるだけ」では、誰も行かなくなるでしょう。


東大阪市郷土博物館


山畑古墳群の中あり、敷地内には双円墳の山畑22号墳の他5基の古墳が復元され、河内平野を一望できる標高約100mの場所に位置し、野外園として活用されています。ここでは埋蔵文化財よりも、近世の生活用具がよく集められており、現代っ子が昔を知る設備となっています。

私が懐かしかったのは、円卓のちゃぶ台、子供の頃は家族一同が丸い食卓を囲んで、子供は正座させられて和やかに一家団欒の食事と決まっていました、真ん中には炭や練炭を入れる七輪を置ける取り外し可能な丸い穴があけられていて、すき焼きなどの時に便利になっていました。現代の食事風景はずいぶんと変わってしまいましたね。
















楽しい博物館でした






























左:大賀世古墳の埴輪(紀の川にそっくり) 右:西岩田遺跡など東大阪市東部の土師器



7世紀初の小さな山畑古墳群


「東大阪市埋蔵文化財センター・発掘ふれあい館」















発掘ふれあい館と火焔土器もある子供たちの作品



大賀世3号古墳作り出し部分(前方と後円の間に設けられる張り出し)の埴輪の並べ方



遺跡別に出土品を整理陳列



奈良時代の井戸(西の辻遺跡)















左:温度・湿度を管理された旧石器時代の石器 右:宮ノ下遺跡の貝塚はぎ取り断面



各時代順に整理された発掘品(鳥取県と同じく綺麗に整理されていました)






















左:洗浄室その隣が土器などの破片を接合する整理室 右:すべて考古学の本


心合寺山(しおんじやま)古墳


ここから八尾市です、全長約160メートル、後円部の直径が約92メートル・高さ約13メートル、前方部の幅が約90メートル・高さ約12メートルの前方後円墳。墳丘は三段築成となっています。近年、史跡公園として整備され、墳丘の平坦部には円筒埴輪(レプリカ)が立て並べられています。これまでの発掘調査で出土した副葬品等は、古墳の脇にある古墳学習館で展示されていますが時間都合で入れませんでした。





後円部墳頂の墳墓・右(西)側の木棺の中から短甲・カブト・針・勾玉・管玉・竪櫛・三葉環頭太刀等が出てきました


玉祖(たまおや)神社と水仙畑
710年(和堂3)周防国から分霊された神社で付近13ケ村の氏神、祭神は天明玉命、7月中旬の土日には各村のふとん太鼓が出て祭礼があります。市民グループが約10年かけて育てた水仙が約2000平方米に広がっているそうですが、時間都合で神社の近辺だけでした。














1725年再建の本殿と水仙


八尾市歴史民俗資料館


高安古墳群の散在する高安山麓に開館し、市内の文化財を調査研究、収集保存そして公開する施設です。常設展示室では、大和川流域と高安山の歴史と文化資料を展示していましたが、撮影禁止で残念ながらなんの記録もありません。

また撮影できたとしても、今でこそ東大阪市と八尾市という行政区に分かれていますが、古代には全く同じ文化圏に存在しており、変わった埋蔵物が出ることもありませんね、こんなところに小さな博物館をそれぞれに建てることは全くの無駄というもの、大阪府の行政がええ加減なんでしょう、生駒山麓として一つの博物館と考古学的な組織を組んだ方が、よっぽど機能的で的確な研究が進むのではないでしょうか。



活気のなかった資料館


信貴山(朝護孫子寺)


聖徳太子が「寅の年、寅の日、寅の刻」に毘沙門天王の力を借りて世の中の平和を祈願し、この山を「信ずべき、貴ぶべき山」として信貴山と名付け、 毘沙門天を祀るための寺院を創建しました。その後、醍醐天皇は病気平癒によって「朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)」の寺号を下賜しました。
現在では信貴の毘沙門さんとして親しまれ、巨大なトラの張り子や「マンガ」のルーツと言われる「国宝、信貴山縁起絵巻」の複製展示などがあります。7月1〜15日まで秘仏の毘沙門天が開扉されます。



トラキチ集合−大虎の前で−張子の虎がちょっと気になりますが−






















左:毘沙門天さんの本堂 右:樹齢1500年の神木・かやの木



反省会(O・Mさんは欠席です)反省=ちょっとまわり過ぎたことかな?


3月のコダイ・ウォーキングは22日(月)に薬師寺東塔・唐招提寺金堂・平城京大極殿・東大寺三月堂へ行きます、詳細は3月初めにUpします。


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