第28(44)回 コダイ・ウォーキング レポート

大和路の紅葉を訪ねて


先月は吉野の山桜の紅葉を訪ねたところ、今度は楓などの真っ赤なもみじを見たくなりました、色々探してみましたが、遠すぎたりたくさんの人出が予想されるなど選定に手間取り、結局は一昨年の12月1日に「山の辺の道-3」で行き、その美しさが今なお忘れがたい正暦寺の紅葉をゴールとするルートを選びました。

ここは奈良市の東端にあたる地域で、ところどころ山村が連なる山深いところ、「古事記」を編纂した大安万呂の墓に昔を偲び、川沿いの紅葉を訪ねながら「錦の里」と呼ばれる正暦寺に近づいていくウォーキングとなりました。

なかなか企画どおりにいかないものでこの日のお天気は終日曇り、雨こそ降らないものの光に映える紅葉の美しさとは縁遠い一日でしたが、ルートの良さが補ってくれて楽しいウォーキングとなりました。



光仁天皇陵

光仁天皇とは:
このかわいい御陵は62歳という最高齢で即位した天皇のお墓です、次いで高齢での即位は55歳で即位された現在の明仁天皇とのことです。

彼は天智天皇の志貴皇子の第六子で白壁王と称し、744年(天平14)聖武天皇の皇女・井上内親王を妃としてむかえ、恵美押勝の乱の鎮圧に功績があり大納言となりました。
その後、度重なる政変によって天武天皇系の子孫が誰もいなくなり、そのとき白壁王は専ら酒を飲んで日々を過ごして難を逃れたといわれています。

称徳女帝の崩御後、二人の間に生まれていた子供が天武系皇族ということで、父親である白壁王が藤原氏の後押しで62歳で天皇に即位しました。しかし皇族間の争いで天武系は完全に絶えてしまい、山部親王(773年、白壁王の第一皇子として渡来系氏族出自の高野新笠を母として生まれる)を皇太子に立て(後の桓武天皇)、73歳で崩御しました。

まさに天皇家の血塗られた歴史の数々は枚挙に暇がありませんが、権力とそれに群がる群臣の絶えることない争いは、いつの世も変わらないものですね。



紅葉をバックに満開の不断桜(秋から冬に咲きます)


しだれ桜ではなく渋柿の見事な実り
太安万侶の墓

日本茶の始まり大和茶のお茶畑の真ん中から発見されました
太安万侶とは:
奈良時代の官人、安麻呂とも書く「古事記」の編纂者。1979年に奈良市田原町で発見された墓(国の指定史跡)の木櫃に残された墓誌(重文)には「左京四条四坊従四位下勲五等太朝臣安万侶,癸亥の年七月六日を以て卒す。養老七年(723年)十二月十五日乙巳」とあったそうです。

父は壬申の乱(672年)に功績のあった多品治。大(多・太)氏は日本最古の氏族で、祖は神武天皇の皇子・神八井耳命といわれ、大氏からは多くの国造が出て全国に散らばっています。現在の奈良県田原本町多(大和・十一郡)に太氏の本拠地があり、多神社が氏神。

711年和銅4)元明天皇の命で『古事記』の編纂に着手し,天武朝に稗田阿礼が誦習した帝紀や旧辞を再整理し,翌年1月に書物として完成させました。彼は中級官人でしたが「古事記」を世に送り出したことで、不朽の名を残しました。




菩提仙川を下る

今回歩いたところは山稜を越えて北へ向かえば柳生街道に連なります、奈良市の城山(529m)を源流として西に向かう菩提仙川は紆余曲折して田原本町あたりで東に向かい吉野川に連なっています。
道標などない路なのでどこからが川への入り口かわからず、尋ねながらの道中でしたが下りの多い路で、正暦寺に着いた頃には、悲しいことに日ごろ歩かない脚は痛めつけられていました。

この川が有名なのは、正暦寺が室町時代(1400年初)にこの川の水を使って清酒を初めて造ったことで知られます、本来、寺院での酒造りは禁止されていましたが、神仏習合の形態をとる中で、鎮守や天部の仏へ献上するお酒として、荘園からあがる米を用いて寺院で自家製造されていました。このように荘園で造られた米から僧侶が醸造するお酒を「僧坊酒」と呼んでいます。































昼なお暗い菩提仙川と日本酒誕生の碑


菩提山正暦寺

992年創建、当初は八十六坊もあって壮麗な寺院だったそうですが、1180年平重衡の南都焼き討ちで全山全焼、興福寺により再興を受けるも再び1629年(寛永6)に堂塔伽藍が焼失し、現在は真言宗の寺院となっています。

本尊・薬師如来は白鳳時代の作で、台座に腰をかけ蓮華の上に足を乗せられた倚像(いぞう)形式の金銅仏で、重要文化財に指定されています。谷をへだてて同じ重文に、1681年建立の福寿院客殿が杮葺きの屋根と数奇屋風に建てられ、狩野永納の襖絵と欄間絵があります。

この谷あいは「錦の里」と呼ばれるほどに紅葉が多く、奈良駅からシーズンには臨時バスが出てにぎわいます、遠い古には浄土とも思われた山深いところです。詳しくは一昨年の「山の辺の道-3」をご覧ください。



菩提山寺境内



落ち葉舞う福寿院



あちこちに南天の実がきれいでした


ところで、この日のウォーキングで私が見た花は椿だけでしたが、myuumyuu さんの眼にはこれだけの花が映っていました、正に生物楽者の名に恥じない業ですね、ぜひご覧ください。
「晩秋の大和路の野の花と実」



カメラもお任せ!この満足そうな反省会にしたたか酔いました

はや来月は師走、12月は18日(金)に忘年会をやろうと衆議一決、それだからということではありませんが、日本の始まりの大阪を旧石器時代から弥生時代までの遺跡を訪ねることにしました、ビルディングばかりの都会のど真ん中でいったいどのようにして遺跡を掘り出してきたのでしょう。
何かと忙しい12月ですから、忘年会だけの出席ももちろん大歓迎!詳しくは来週のお楽しみにBye

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