大阪万国博覧会の思い出


2009年10月18日(日)に大阪府吹田市の万博公園へ行きました、大阪万博が開かれたのは1970年3月15日から、あれから既に40年近く経ち、パビリオンのあったところに植えられた木々が大きく成長し、人々の憩いの場として親しまれています。
かっての鉄鋼館では万博の歴史を回顧する展示会が開かれ、18日以後この建物もリニュウアルのため閉鎖されるので出かけてきました。秋の爽やかな空の下で色んな団体の運動会や家族連れで大賑わいでした。
万博回顧展の画像は最初から写すつもりで行ってませんので、ガラスが光ったりして見苦しいですが、懐かしさにホームページに残しました。


万博の歴史を回顧する



懐かしい日本政府観ホステスのユニフォーム



1945年当時の万博会場



左:1851年第1回ロンドン 右:1893年シカゴ



右下:1900年パリのエッフェル塔



日本で行われた万博の数々(愛知博もありました)
左から大阪の花博・筑波の科学博・沖縄の海洋博



1941年都市化・娯楽化の時代の博覧会(香川県高松市)



技術の発展



宇宙開発の時代へ



こんな時代もありました



そして中国の時代


万博公園アラカルト


万博の思い出:1970年といえば私はまだ33才の若さでした、遠心分離機のスペシャリストになりたくて、ようよう目指すメーカーへ転職した年でした。

何度もユーザーを万博へ案内したり、次々と家族・親戚を連れて行ったり、アメリカ館の「月の石」を見るために4時間も並んだりと、何度足を運んだことだったでしょう。

その折に必ず入るレストランは中国館の中華料理、お目当ては「紹興酒」(黄酒・醸造酒)でした。チャイナドレスの姑娘(クーニャン・娘さん)が片言の日本語で進めてくれるお酒は初めて飲む中国酒でした。

その後1972年に日中の国交が回復して、私が遠心分離機のPRに初めて中国へ渡ったのは1985年、まだ男女ともに人民帽と人民服の時代、常に公安(警官)にあとをつけられる時代でした。

その後、紹興酒より強い白酒(蒸留酒・マオタイ、洋河大曲など)を好むようになりましたが、私にとって万博と中国は切っても切れない関係になりました。




現代っ子がつくるマーケット



太陽の塔が見える風景



台風18号で倒された「花の丘」のコスモス

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