納涼番外編 コダイ・ウォーキング

5000年前の火焔土器
縄文時代中期を代表する縄文式土器の一種で、燃え上がる炎を象ったかのような形状の土器は縄文土器のなかでも特に装飾性豊かな土器です。

火焔土器という名前は1936年に新潟県長岡市の馬高遺跡で最初に発見された近藤篤三郎氏の命名によるもので、一般には信濃川流域(新潟県・長野県北部)と阿賀野川流域の福島県西部から出土する火焔型土器、王冠型土器を総称して火炎土器と呼ばれています。

火炎土器が発見された新潟県の遺跡は500ヶ所中の170ケ所であり、製作されたのは5300年前から4800年前の約500年間であったことが分かっています。
これらの土器はお祭りのときに使われ、出土する土器の約10%にあたるようですが、お祭りの場ではこの土器を使って煮炊きをしたようで、穀類のおこげが残っているそうです、実用にもなった優れものだったのですね。

これらの土器類156点を一堂に集めた「火焔土器の国−5000年前のメッセージ−」展が、大阪府泉大津市にある府立弥生文化博物館で6月27日から8月30日まで開かれています。コダイ・ウォーキングの会は夏休みの番外編として見学に行きました。見事な火焔土器を作った我らが縄文人の心意気をお楽しみください。(画像は4回の撮影行で集めたものですが青森の縄文土器展の画像より配列、照明等によって見劣りがします、ご容赦ください)



馬高遺跡で最初に発見された「火焔土器」(国・重要文化財)



同じく馬高遺跡出土の王冠型火炎土器(重文)



同じく馬高遺跡「浅 鉢」(重文)



十日町市笹山遺跡火焔型土器(日本最古の国宝・レプリカ)



左:最大火炎土器(61cmH・道尻手=どうじって遺跡) 中:最大王冠土器(58cmH・道尻手遺跡)
 右:最小(15.5cmH・石倉遺跡)


その他の縄文時代の出土品



吉野家遺跡「土偶」



土偶−U・山下(さんか)遺跡



土偶−V・上野(うわの)遺跡(復元品)

















金属のなかった時代に「彫刻された石棒と石皿」(木の実をすりつぶしたのでしょう)


火焔土器はどのように作られたのか



ひもや三角形を作っておいて貼り付けました、
土器周辺のうね状は竹を縦割りし先端を薄く削った道具で溝を作ったのです


以上で新潟県を中心にした火焔土器のご紹介を終わります、このような装飾性豊かな土器を作っていた縄文人の暮らしは、その精神性において豊かな時代であったと思えます。その後大陸から色んな民族が渡ってきて弥生時代になっていくのですが、ここ大阪は古代から最も栄えた地方でしたから、旧石器時代から続く各時代の出土する遺跡の数も圧倒的に多いのです、それゆえ次々と発展していった結果として、その遺跡群は遺跡の下に下にと埋没し、発掘調査は容易なものではありません、私たちはもっと浪速の遺跡を認識することも大事でしょう、おいおい大阪の遺跡もご紹介してゆきたいと思う今日この頃です。
   9月のウォーキングは8月下旬にプランをお知らせします。酷暑にめげずお元気でお過ごしくださいBye


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