第25(41)回 コダイ・ウォーキング レポート


'09-6月 山陰の弥生時代を歩く


山陰の弥生時代とは:

「鳥取に古代があったの?」とかって聞かれたことがありましたが、縄文〜古墳時代の多くの遺跡が点在していながら、ここは最近まで歴史の脚光を浴びることはありませんでした。

何故なら日本国の成立した近畿、青森の縄文期の三内丸山遺跡北九州最大の吉野ヶ里遺跡などは世間の注目を受けることが多く、まず出雲地方を除けば山陰を知る学者が非常に少なく、発見があったとしても学者がコメントを出せず、マスコミも小さな記事で終わることが多かったのでしょう。

鳥取の妻木晩田(ムキバンダ)遺跡が発見されたきっかけは、米子市の東・淀江町の丘陵地帯にゴルフ場を含む一大リゾート開発を計画した大阪の京阪グループでした、1995年に丘陵にブルドーザーを入れてゆくにつれそこが古代の遺跡だと分かって、1998年に京阪は開発を中止しました。1999年には早くも国の指定史跡になるほどの発見だったのです。

これは鳥取市青谷町の青谷上寺地(アオヤカミジチ)遺跡も同じで、2000年5月に国道と県道の建設現場で殺害されたと思われる三体の遺骸が現れたことが始まりです。いずれの遺跡もこれまでの古代史を塗り替えるような発見となりましたが、こんなことになろうと予測した学者は誰もいなかったようです。

二つの遺跡の大切なところは、邪馬台国や大和建国の前に、天然の良港を通じて、朝鮮や中国そして出雲から北陸まで流通の拠点であったことと日本の木造建築技術の高さでした。北九州を含む日本海側は日本建国の端緒となる地方であったといえるでしょう。

私たちコダイ・ウォーキングの会は、両遺跡を巡る二日間のプランを立てたところ、9名の参加者を得て意義深いウォーキングとなりました。

(なぜ・・・の会という名称を使ったかといえば、JRの団体切符を申し込むときに必要だっただけのことです、念のため)



妻木晩田山丘陵より淀江町・美保湾を経て米子市街方面



屋根がひっくり返って落ちた青谷の出土現場(パンフレットよりスキャン)


旅の思い出(サムネイルです、絵をクリックすると大きくなります)


特急スーパーはくと3号に乗って
青谷展示室にて専門研究員のレクチュア
青谷郷土館にて青谷の特色を聞く

ホテル「かいけ彩朝楽」にて楽しく夕食

みんなカラオケ大好き人間の集いでした
妻木晩田遺跡の前で広大な遺跡を聞く
レクチュアをするのは親切なMさん

あざやかなアジサイ

では先ずは青谷上寺地遺跡から妻木晩田遺跡へと周りますが、それぞれのページを独立させてありますので、クリックしてください。


1:青谷上寺地遺跡

2:妻木晩田遺跡

3:上淀廃寺跡と淀江歴史民俗資料館

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