第3回ブッダ・ウォーキングレポート


「日本書紀」によると日本に仏教が入ったのは公式には538年、欽明天皇の時代に百済の聖明王が釈迦像などを奉献されたのが始まりですが、民間では中国・朝鮮からの渡来人によってそれ以前から仏教が信仰されていたようです。 
584年に百済より弥勒菩薩石像が将来され、蘇我馬子は奈良県桜井の家を寺院(向原=ムクハラ寺・豊浦寺=トユラ)として善信尼など3尼が出家してその後百済へ留学、用明天皇が初めて仏教に帰依、588年百済より技術者が派遣され最初の本格的な飛鳥寺(法興寺)が599年に完成、594年には推古天皇が「三宝(仏教のこと)興隆の詔=ミコトノリ」を発布して、仏教国としての発展の道が確立してゆきました…。

今回はこれまでの飛鳥の旅で行き残していたところを歩きました、仏教は6世紀初期より皇室をはじめ貴族の信仰を得て次々と寺院が建立され、国の安泰を祈願する国家仏教としての色を濃くしてゆきました。
当時の僧侶は官職であり今で言う国家公務員であったようです、607・608年と2回に亘った小野妹子による遣隋使に同行した留学生たちは、先進国の国家のあり方をはじめあらゆる知識を持ち帰って、大化の改新など日本国の建設に邁進していきます。
その間には崇佛派と反佛派との血なまぐさい争いや、貴族や皇族の権力争いが絶えることなく続きながらも国家としての形が調えられていき、聖徳太子による607年から始まる法隆寺の建立で仏教国としての基盤が固まったといえるでしょう。
9月から再開する第4回ブッダ・ウォーキングからは舞台が飛鳥から北方の斑鳩地方へと仏教の道をたどります。
では飛鳥の最後の旅を始めましょう。


飛鳥時代の主な年表

年代 天皇名 事件 主な人 寺院
538 欽明 百済より仏教伝来
587 蘇我馬子、物部守屋を滅ぼす
588 飛鳥寺 588 飛鳥寺
592 推古 蘇我馬子、崇峻天皇を殺害 592 豊浦宮 606 飛鳥大仏、橘寺
603 十二階冠位制定 鞍作止利  603 小墾田宮 坂田寺
604 憲法十七条をつくる 聖徳太子 623 法隆寺釈迦如来
630 舒明 第1回遣唐使 630 飛鳥岡本宮
643 皇極 蘇我入鹿、山背大兄王を殺害 643 飛鳥板葺宮 641 山田寺
645 孝徳 大化の改新、蘇我蝦夷・入鹿殺害される 中大兄皇子・藤原鎌足 645 難波長柄豊崎宮
663 天智 日本百済連合軍 白江村で唐に敗戦 668 中大兄皇子即位 667 近江大津宮 川原寺
672 天武 大海人皇子即位 天智の子(大友皇子)を滅ぼす 672 飛鳥浄御宮
681 律令と国史の編纂始まる
687 持統 677 大官大寺
701 文武 大宝律令の制定 696 藤原宮



近鉄吉野線「飛鳥」駅                              高松塚壁画館入口


















                 


高松塚古墳

1972年の発掘調査によって発見された古墳内部には古代中国に倣った絢爛たる壁画が残されていました。その後、壁画は模写され再び石室は以前どおりに閉じられましたが、最近になって保存状態の劣化が判明したことはご存知のとおりです。
石室内への「虫の侵入とカビが発生し壁が保存に深刻な事態をもたらしている」と文化庁の
2005年2月の調査報告書に記されています、現在塚全体に巨大な仮設覆蓋がかけられて作業がされているようですが、日曜日だったので作業者の姿は見えませんでした。


高松塚壁画 「女子群像」 (壁画館パンフレットよりコピー)



古墳開口部と天蓋



蓋屋内部の頭頂部 (以前は全体が竹林で覆われていました)


あすか点描































         
                うつぎ(卯の花)                                      やまぼうし


明日香村を歩いて気づくことは、花々と石仏がいたるところにあり、仏様には花が供えられて大事にされていることです。

土地が広々として豊かさを感じさせ、お土産屋が声をかけてくることもありません。

ここが日本国の発祥の地であってみれば、ほのぼのとして私たちまで嬉しさがこみ上げてくる「ふるさと」なんですね。

直垂(ひたたれ)姿でわらじ履き、菅笠をかぶった人々が往来していた飛鳥の都を想像していると畝傍・耳成・天香具山に甘樫丘が微笑んできます。
























柿の花



栗の花 



ゆすら梅の実

                         
                                                         

MyuuMyuu さんの招待席

川柳・イラスト作家のミュウミュウさんは巷の植物学者であり、その写真もまた素晴らしいです。ここにご紹介できることを嬉しく思っています、おいおい追加しますのでお楽しみに! 
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岡 寺(龍蓋寺)

正式名は龍蓋寺といって天平時代751年に正倉院文書に初めて名前が出てくるそうです、日本法相宗の開祖である義淵(ギエン)僧正(東大寺開祖である良弁や行基・玄ム・道鏡など奈良時代の高僧達の師であった)が草壁皇子の宮を貰い受けて寺としたのが始まりです。塑像(土製)如意輪観音坐像は日本の塑像では最も大きく高さ4.8mもあるそうです、日本三大仏像(東大寺の銅像奈良の大仏さん・長谷寺の木造十一面観音)の一つになっています。現在の岡寺は真言宗に属し西国三十三ヶ所観音霊場第七番札所として厄除け観音で有名です。



山田寺址

蘇我氏の一族の石川麻呂の建てた寺で、彼は大化の改新では中大兄に組みし右大臣の要職につきましたが、異母弟蘇我日向のそしりにより謀叛の疑いをかけられて自刃しました。
やがてその疑いも晴れ、娘である天智天皇の妃 遠智娘やその娘鵜野讃良皇女により寺は着工から45年を経てようやく完成しました、法隆寺より半世紀も古く日本最古の木造建造物となっていましたが、今は飛鳥資料館に仏頭と回廊連子窓が残されています。
金堂内部には坊さんも入れず外の拝礼石板にぬかずいたといいますから、その華麗さは想像を絶するものであったのでしょう。

手前は回廊跡・向こうの左側は五重塔・右側は金堂跡、回廊がこの周りをぐるりと
取り巻き、講堂は回廊の外にありました。


土中に埋まっていた東回廊の連子窓を再現しています(飛鳥資料館にて)



 白鳳時代(685年開眼)を代表する山田寺仏頭(飛鳥資料館のレプリカ) 
金堂の本尊・薬師如来の頭部実物は奈良市興福寺に保存されています。



京都・大阪府・泉南からの参加者と記念撮影そしていつもの乾杯で
飛鳥の旅を締めくくりました。



藤原宮を偲ぶ


次回は9月に斑鳩で再開です、8月に詳細を「おおさか物語」に発表します。


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